新見市の地質学的歴史 (日本古生物学会特別会員・ 田口栄次執筆:沖村雄二・広大名誉教授/監修) 新見市の地史(地質学的歴史)について簡単に説明すると、古生代の阿哲台石灰岩(約2.5億年〜3億年前)、中生代の流紋岩や安山岩などの火山岩(約1億年前)、及び新生代の堆積岩《礫岩、砂岩及び泥岩》(約1600万年前)にどうしてもふれなければならない。 |
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1. 阿哲台の石灰岩はどこでできたのだろうか。 阿哲台の石灰岩はその規模において秋吉台の石灰岩に匹敵するという(沖村雄二・広大名誉教授による)。沖村雄二広大名誉教授や丸山茂徳東工大教授らの説によれば、阿哲台の石灰岩は約3億年前、海底火山上に生物礁(現在のサンゴ礁にあたる)として形成され始め、赤道付近で約8000万年かけて巨大化した。その後、海洋底の移動で北上し日本列島に付加されて現在の新見市にあると言われている(プレートテクトニクス)。 このように、わたしたちは阿哲台石灰岩を見るとき、地球の歴史の壮大なドラマをおもい描くことができる。
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2.中生代白亜紀(約1億年前)には、新見地域は火山地帯であった。 山口大学の今岡照喜助教授らによれば、新見地域の山地や地下に分布する流紋岩や安山岩(火山岩)が、楕円形の形状で広く分布しているという。これらの火山岩は、熔岩と角礫凝灰岩が主体で当時大規模な火山活動が有ったことを推測することができる。恐竜の生きていた時代、岡山県北部は広大な火山地帯であったのだ。
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3.日本海の誕生と新見の海(1600万年前) 神戸大学の乙藤洋一郎教授によれば、約1700万年前は、日本列島はアジア大陸にくっついていたといわれている。 その後、約1600万年前頃、日本列島は、日本海の形成によって大陸から離れ、南から暖流が流れ込んだ。新見地域では、ビカリアやナギクリイロバショウなどの巻き貝、ヒルギシジミやなどの二枚貝が西方久原や為谷から産出しており、当時の海は現在のフィリピンくらいの熱帯の海であったと推定できます。 わたしたちがおうけつの説明のある緑町の高梁川の川床の地層や、矢崎の工場がある露頭の地層を見ている時、まさに日本海の誕生と古瀬戸内海と呼ばれる暖かい海の様子を見ていることになり、感動せずにいられない。
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