新見市市街地周辺の地質学的歴史

新見市の地史(地質学的歴史)について簡単に説明すると、古生代の阿哲台石灰岩(約2.5億年〜3億年前)、中生代の流紋岩や安山岩などの火山岩(約1億年前)とスカルンの形成及び新生代の堆積岩《礫岩、砂岩及び泥岩》(約1600万年前)にどうしてもふれなければならない。

1.阿哲台の石灰岩はどこでできたのだろうか。
阿哲台の石灰岩はその規模において秋吉台の石灰岩に匹敵するといわれており、沖村雄二広大名誉教授や丸山茂徳東工大名誉教授らの説によれば、阿哲台の石灰岩は約3億年前(石炭紀)、海底火山上に生物礁(現在のサンゴ礁にあたる)として形成され始め、赤道付近で約8000万年かけて巨大化した。その後、海洋底の移動(プレートテクトニクス)で北上し日本列島に付加されて現在の新見市にある阿哲台石灰岩(推定岩層600m程の厚さ)が形成されたと考えられ、このように、私達は阿哲台石灰岩を見るとき、地球の歴史の壮大なドラマを思い描くことができる。
フズリナ石灰岩
新見市哲多町森広 産

2.中生代白亜紀(約1億年前)には新見地域は火山地帯であった。
山口大学の今岡照喜教授らによれば、新見地域の山地や地下に分布する流紋岩や安山岩(火山岩)が、楕円形の形状で広く分布しているという。これらの火山岩は、熔岩と角礫凝灰岩が主体で当時大規模な火山活動が有ったことを推測することができる。恐竜の生きていた時代、岡山県北部は広大な火山地帯であったのだ。またこの時期に阿哲台石灰岩(炭酸塩岩)中にマグマ(花崗岩)が貫入してきた際、その接触部付近に鉱物の集合体(接触変成岩の一種)である、カルシウム、鉄、マグネシウム、アルミニウムなどに富むケイ酸塩鉱物、所謂、スカルン鉱物が出来た。スカルン鉱物は、マグマ(花崗岩)からケイ酸や鉄、アルミニウムなどが石灰岩の方に移動し、石灰岩中のカルシウム(苦灰岩の場合はマグネシウムも)と反応して鉱物ができる。物質によって移動距離が異なるので、鉱物種ごとに帯状構造を成す事が特徴で、新見市金谷の河本ダム周辺のスカルン帯も帯状構造を顕著に成しており、1957年に「阿哲台」(縞嶽)として県指定記念物として指定されている。因みに物質の移動には、熱水中の拡散と熱水自体の移動によるものの二種が存在し、熱水の影響が大きい場合は、変成はしばしば広範囲に及ぶ。なお、マグマの熱によって変成された石灰岩は結晶質石灰岩(鉱物名:方解石)に変わっている事が多く、河本ダム周辺に産する主なスカルン鉱物として、珪灰石、パラ珪灰石、ベスブ石、灰鉄ざくろ石、透輝石、魚眼石、ざくろ石化したキルシュシュタイン石仮晶などで、金属鉱物は黄銅鉱、斑銅鉱、磁硫鉄鉱、磁鉄鉱などの産出が知られており、後にそれら金属鉱物の風化分解が進む個所では孔雀石やチロル銅鉱、針鉄鉱などの二次鉱物も生成されている。

原岩を基にした分類
内成スカルン(endoskarn)- 火成岩を原岩とするスカルン
外成スカルン(exoskarn)- 堆積岩を原岩とするスカルン
主成分と原岩を基にした分類
カルシックスカルン(calcic skarn)- 石灰石が関与したCaに富むスカルン
※新見市はカルシックスカルン
流紋岩 灰鉄ざくろ石
新見市熊谷 産 新見市宮河内 産

3.日本海の誕生と新見の海(1600万年前)
神戸大学の乙藤洋一郎教授によれば、約1700万年前(新生代中新世)は、日本列島はアジア大陸にくっついていたといわれている。その後、約1600万年前頃、日本列島は日本海の形成によって大陸から離れ、南から暖流が流れ込んだ。新見地域では、ビカリアやナギクリイロバショウなどの巻き貝、ヒルギシジミやなどの二枚貝が西方久原や為谷から産出しており、当時の海は現在のフィリピンくらいの熱帯の海であったと推定できます。新見市高尾の高梁川に架かる昭和橋上下流の甌穴が点在する一帯の河床の地層や、矢崎の工場がある露頭の地層を見ている時、まさに日本海の誕生と古瀬戸内海と呼ばれる暖かい海の様子を見ていることになり、感動せずにいられない。

Vicarya japonica Yabe and Hatai
ビカリア

Rhizophorimurex capuchinus
nagiensis

Taguchi Osafune and obayashi

ナギクリイロバショウ
Geloina yamanei Oyama
ヒルギシジミ
Perna oyamai Taguchi
オオヤマミドリガイ
岡山県勝田郡奈義町柿 産 岡山県勝田郡奈義町柿 産 岡山県勝田郡勝央町植月 産 岡山県津山市新田 産

新見市西方へ
地球全体から見た日本と新見市の地質年代位置